令和3年 SMI雑感
8月 ヒヤリハット300回で一人退社し、一組離婚する?
7月 蘇れ、メザシの“土光さん“!
6月 “問い”こそが答えだ U
5月 泥を見るな星を観よ
4月 死刑囚をも変えた、池田晶子の言葉
   3月 ノーベル候補となった渋沢栄一   
2月 「風俗店へ行った翌日の客は・・・」!?
1月 人生を変えた新島昇先生との出会い


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《令和3年8月》

ヒヤリハット300回で1人退社し、1組離婚する?

 今、多くの会社で人材をどう集め、どう定着させるかが大きな課題となっている。特に今月は、どうしたら定着するようになるかについて考えてみたい。

■敬意をもって人と接しているか
 先日ある会社から、「入社1年2か月で仕事にも慣れ大きな戦力になった人間が、9月でやめたいと言ってきたんです。皆で心をかけてきたつもりだったのに、どうしてなんでしょうね」という相談があった。
 私は、ある程度、その会社の上司がその人にどういう接し方をしていたかを聞いていたので、次のように答えた。
 「本当に皆さんがその方に対し、敬意をもって接していましたか。仲良くやることと敬意をもって接することは全く違うことですよ」。そして、次のような文章をメールで送り、リーダーで話し合ってみてくださいと提案した。

「毎日の些細な苛立ちを超越し、侮辱されたという思いを断ち切り、厄介なことにも笑顔で対する勇気を持って下さい。あなたが森を歩いている時、足をとられるのは大きな木や岩ではなく、地面を這う草木の蔓や、木の株や、雑草などなのです。」
(※DPMプログラム〈成功への勇気〉。 人が気分を害したり、やる気を失うのは大きな問題にぶつかった時ではありません。先のポール・j・マイヤーの言葉のように、大きな問題の時は、不思議と組織がまとまったりして乗り越えていってしまうものです。しかし、上記の、地面を這う草木の蔓や木の株、雑草に相当する、職場においての、あまり役に立たない文章作り、必要のない集まり、不必要に思える連絡作業、心ない一言によるわだかまり、上司の不機嫌な態度等の積み重ねこそが、決定的にモティベーションを下げ、組織や会社から心を遠ざけていってしまうのです。なぜか、それはずっと心に溜まり続けるからです。
 そして今、会社が考えられる蔓や小枝、そして雑草は何か、それを取り去る工夫をしてみてください。】と。
 
 その会社では仲良いことが大切と、皆で食事をしたり運動会をしたりしていた。しかし、そこに皆が敬意をもって接している感じがないのではと、私は感じていた。そうすると、多くの社員がチョッとした言動に気分を害し、ストレスとして溜めていくことになる。そうした中である日突然「辞めさせてください」となってしまうこととなったのだ。
 私は、これはヒヤリハットの確率と重なると思い、最近「人間関係のヒヤリハット300回で1人辞めてしまいますよ」とよくお伝えしている。

(※ヒヤリ・ハットの確率;正式には、ハインリッヒの法則といわれる。この法則は、労働災害における経験則の一つ。一つの死亡事故のような重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300回の異常が存在するというもの。)

■夫婦もヒヤリハット300回で別れる?
 人間関係のヒヤリハット300回に1つの別れがある、は夫婦も同じだ。「夫が洗い物をちゃんと籠に入れてくれない」「妻の返事の仕方にいつも気分を害する」「手伝ってやっても有難うの一言もない」といった、正に、犬も食わない些細な積み重ねで別れることになる。
 今回のオリンピックで日本柔道の復活を果たした井上康生監督は、上記の人間関係の蔓や小枝をきれいに刈り取り、選手達のストレスを最小限にしてオリンピックに臨んだようだ。
 家庭での井上について、妻の東原亜紀さんが語っている。「パパはいつも掃除をやってくれるんです」「子供達には、海外にいても子供たちが出かける前に必ず電話をくれるんです」「何気ない事が、家族にとって助かる部分があるだろう、と言ってくれるんです」
と。
 そして井上も「妻はやってくれたことに対して必ず『ありがとう』と言ってくれるので、その一言だけでも全然やりがいが違ってくるんです」と。

 「人は求められるところに行き、認められるところに留まる」とポール・J・マイヤーは言った。この「認められる」は決っして、褒められたり、皆の前で表彰を受けることではない。「認める」という行為は、日ごろの何気ない関係の中にこそある。今回、一人の退職を見ながら、そうしたことを疎かにする組織は、今後必ず淘汰されることになるだろうと確信を持った。
 SMI 小杉 2021/8/31

《令和3年7月》

 蘇れ、メザシの“土光さん

 先日、新潟日報の読書欄に、リーダーの鑑となるような町内会長の話が載っていた
 『・・・私の地元の町内会長は嫌な顔を見せずに誠実に仕事をこなされており、誇りに思っています。例えば、ごみについてです。「決められた日に決められた種類のごみを出してください」と繰り返し要請しても、守ってもらえないケースがあります。そういう時、最後は町内会長自ら分別、処理されます。また先日、町内総出による一斉清掃作業がありました。その一つ、用水路作業で一部のやり残しがあったので、町内会長に話しました。すると翌日、自ら先頭に立って他の役員と処理されました。その行動力に舌を巻きました。さらに崩れた階段の修復など、枚挙にいとまがありません。・・・』

■率先垂範の人“土光敏夫
 この記事を読んで”目刺しの土光さん”を思い出していた。土光さんは正に率先垂範の人であり、真摯さの塊(かたまり)のような人だった。
 『一つ気にかかることがある。それは管理者が部下に向かって’「何々してやる」「何々させる」といった発想が多いことだ。自分自身のことは棚にあげているのが問題だ。実のところ部下は、管理者のそんな前姿よりも、ふだんの後ろ姿をみているのである。後ろ姿に学ぶのである。後ろ姿がりっぱであれば、黙っていてもついてくる。その意味では、部下指導とは、前姿を装うことではなくして、後ろ姿を正すことだ。 管理者自らが真剣に仕事に打ち込む。自らの足りなさを省みる。そういった身をもって示す真剣勝負こそが、部下への最上の教育となる。部下は管理者の鏡なのである。』と、土光さんは率先垂範をリーダーの責務とし、部下の教育とも捉えていた。

■70歳の老体、雨の中傘をささずに立つ
 『土光が東芝にきて、まず手をつけたことは、機構改革のほかに、全工場、支社、営業所などの訪問だった。・・・ 土光は、このエ場と営業所めぐりを、本社での仕事の合間をぬって進めた。東京から遠く離れた工場には夜行で出かけ、昼間工場を視察した後、トンボ返りで、また夜行で帰って来る。東京駅や上野駅に朝早く着くと、そのまま内幸町の本社に直行、社長の仕事を始めるタフネスさであった。

 夜行で、姫路工場に行ったときだ。
 工場の庭に従業貝を集めて、土光が話をしたが、あいにく小雨が降っていた。女子従業員は傘をさしながら、土光の話を聞いた。が、土光は傘をささない。東芝の現状、人間の話、能力開発の話などトツトツと話す。小雨も本降りとなってきた。ところが、雨とは逆に、傘の数は少なくなる。遠くで聞いていた女子従業員たちが、傘を閉じて土光の方へ近づいてくる。雨の中で従業員に真剣に訴える老社長の話と姿に心を打たれ、いつの間にか傘は一本も見えなくなった。話を聞く従業員の中には、目に涙を浮かべる人もいる。話が終わって、びしょぬれになった土光が、車に乗った。やはりずぶぬれの女子従業員が、ワーツと車を取り囲む。ガラスをたたきながら、「社長、カゼを引かないように」「お体をお大事に」「がんばって」「私たちも、一生懸命にやりますわ」と、口々に叫んだ。

 老社長の目頭も、思わず熱くなる。土光は、涙が止まなかった。
 老いをものともせず、東芝再建のために東京から夜行で駆けつけ、雨の中で話をし、また夜行で本社に帰りてゆくそうした土光の心境を、姫路工場の女子従業員全員が理解した感激的な情景であった。
「七十歳になっていたが、幸い健康に恵まれ、それほど負担ではなかった。むしろ、上から下まで、全従業員と話し合う楽しみがあった』

■第二の土光敏夫は必ず現れる
 私が土光さんを心酔するきっかけとなった「土光敏夫−21世紀への遺産」(※志村嘉一郎著)に、冒頭下記の通り記されていた。
『土光敏夫。九十一歳。日本の歴史の中に、後世の歴史家が、「二十世紀に活躍した偉人であった」と、必ず書き残す違いない。大きな偉業を成し遂げたとか、大政治家だとか、民族の英雄だとか、そんな偉人ではない。一日一日を平々凡々に生きた人である。一介のエンジニアから、倒産寸前のいくつもの会社を立て直し、財界総理に推戴された。十分な収入がありながら、財を成すわけでもなく、色を好むわけでもなく、豪邸に住むわけでもなく、食事は一汁一菜、メザシが唯一のごちそうである。一か月五万円の生活費を残せば、収入の全てを私立学校へ寄付してしまう。老妻が洗濯したワイシャツに、着古した背広、擦り減った皮靴で、地球上どこにでも飛んで行った。
『ミスター合理化』『財界の荒法師』『怒号さん』などと呼ばれ、鈴木、中曾根の二代の総理から請われて、臨調会長に就任、国鉄や電電公社の民営化など行政改革に大ナタを振い、二十一世紀に向けて水ぶくれの政府をスリムにした。民間人として初めて、勲一等旭日桐花大綬章を受けた。
』※志村嘉一郎著「土光敏夫−21世紀への遺産」より

 正に土光さんは、SMIイズムの人であり「無私の人」だった。我が社では4年前にSMIビジネス塾とSMIモーニングアカデミーの二つの学習会で、土光さんの生き方を1年間学んだ。そして多くの共感を頂いた。私はリーダー不在の日本にあっても、日本人にこの土光イズムに共鳴する心が残っている限り、必ず第二の土光敏夫が現れると信じている。 SMI小杉隆雄 2021/7/30

《令和3年6月》

  “問い”こそが答えだ U

 先日ある会社の社内塾で、参加していた社長が、「入院していた時に病院のテレビで観た、ソクラテス式問答法で社員を教育していこうと思う。だからこれから皆に問いかけることにします。」と言った。「問うことで考えさせて、自分で成長していく社員にしたい。」とも言っておられた。私も全く同感で「そうです。質問ではなく、問うことが大切です。SMIでも、問うことをを中心としたアドバイスしない教育を説いています。」と、お伝えした。

■「質問」でなく「問う」ことの重要性

 質問が大切だという人は多い。しかし、問うことの重要性に気づいている人は少ない。質問は得てして質問する側が答えを持っていて、その答えに近づくことを要求することが多い。「問い」には「答え」はない。問うという行為そのものが重要なことであり、問いの質を磨いていくことで、人間は成長していく。
 成功する人は、自分の価値観においても、行為の目的においても正しい誠実な「問い」をするものだ。その誠実さは自分自身に対しても、社会に対しても同じだ。だから、失敗しても立ち上がり再チャレンジできる。そして必ずゴールにたどり着ける。それは出発点での問いが正しかったことの証明でもある。

■悩むな、考えろ

 4月のこのコーナーで紹介した池田晶子は「悩むな、考えろ」と、繰り返し説く。悩むのは考える方法を知らないか、考えることを怠っている人間のすることだと言う。池田の「考えろ」は正に「問え」ということだ。問いをしている限り、悩むことはないと言うのだ。多くの偉大な業績を残した偉人も、そこに行きつくようだ。
 今も、多くの人に影響を与え続けているピーター・ドラッカーは「一番重要で尚かつ難しいのは、正しい答えを見つけることではない。正しい問いを見つけることだ。」と説いた。経営が上手くいかないのはその経営者の問いが間違っているからだ、とも言った
 エジプトのノーベル文学賞作家ナギーブ・マフフーズは「(その人が)利巧どうかは答えに示される。(その人が)賢明かどうかは問いに示される。」と書いた。

■問いのレベルがその人のレベルを現す

 私は今、社内塾を実施している会社に、問題が起きた時「誰が悪かったか」ではなく、「わが社の仕組みのどこが悪かったか」と「問い」を変えるように指導している。その会社では今まで、ことが起きると必ず「誰が原因でこうなったんだ」と質問していた。そのため、社員が萎縮し、社員が定着しない会社になっていた。問題に対して犯人捜しをしている組織で伸びているところはない。伸びる会社は皆「どこの仕組み」が悪かったのかと問い、全社的な課題にし、皆で共有し、解決していく。そうすると、社員一人一人が主役者意識を持って、他責でなく自責で捉えていくようになっていく。そして今や、マネジメントやモティベーションの世界で、必要絶対条件と叫ばれるようになった。「恐れのない組織」となって、風土が劇的に変わっていく。
 会社は、リーダーが問いを変えただけで劇的に変化していく。

■正しい問いこそが答えだ

 アインシュタインは「もし、問題を解決する時間が1時間あり、自分の人生がその問題の解決にかかっているなら、私は適切な問いを導き出すことに最初の55分を費やすでしょう。適切な問いが分かれば、問題は5分で解けるからです。」と、言った。
 SMI創立者ポール・J・マイヤーは「目標設定し、実現するためのカベは何かと、問い、そしてそのカベをどう乗り越えていくかと問うことができたなら、その目標はほぼ実現できるものだ」と説く。カベを乗り越える方法が見つかったなら、ではなく、カベは何かと問い、どう乗り越えるか問うことができたなら、というところが面白い。前記のアインシュタインの言葉と一致する。

 今や全人類の共通の課題となった持続可能な社会につながり、貢献できる会社を目指すには、高い次元での問いをすることが経営者に求められる。その為には経営者に高い教養が必要だ。
 冒頭紹介した経営者は、SMIを柱として、いろいろの場で自己研鑽を重ねておられる。これから社員に対してどんな「問い」をされていくのか楽しみになってきた。
SMI小杉(2021.6.30)

《令和3年5月》

   泥を見るな星を観よ

 私はこのコロナ禍にあって、二つのことをよく自分に言い聞かせている。一つは「今日一日を生きる」ということ。二つ目は「泥を見ないで星を見よう」ということだ。

■「たとえ明日、世界が滅びようとも今日私はリンゴの木を植える」

 この言葉はマルチン・ルターの言葉と言われる。私はこの言葉をSMIの成功の定義と同義と考えている。SMIでは「成功とは価値ある目標を前もって設定し、段階を追って実現していくこと」と定義する。この定義の特徴であり素晴らしさは「成功とは結果ではなく、それを目指すプロセスにこそある」と説いている点にある。

 このルターの名言も、『明日、世界は滅びる。しかし、リンゴを収穫できるかどうかという結果に囚われず、リンゴを植えるという希望に繋がる行為そのものによって、今日を価値ある1日にできる』と、説いていると受け止められる。誰もが明日滅びるという状況であっても、価値ある行為によって、今日という日を素晴らしい1日にしていくことができるということだ。

 医学界に大きな影響を与えた英国のサー・ウィリアム・オスラーは、「今日だけを見て生きる」を信条としていた。そのオスラーが座右の銘にしていた詩がある。

 『夜明けに捧ぐ詩』    カーリダーサ(※インドの劇作家)
 見よ!この日を
 人生のため、人生の本質のため。
 その短い過程の中に
 あなたの存在の全ての真実と現実がある。
   成長の喜び
   行動の誇り
   美の素晴らしさ
 昨日はただの夢
 明日はただの幻
 しかし今日を善く生きることは、全ての昨日を幸せな夢に変え
 全ての明日を希望に変える
 そうだ、見よ!この日を
 この言葉を、夜明けに捧ぐ


■泥を見るな星を観よ

 “嫌われる勇気”がベストセラーを続けている。潜在能力の開発に生涯を費やした、著者のアウフレッグ・アドラーは「人の驚くべき特性の一つは、マイナスをプラスに変える力」と言った。

 D・カーネギーの名著「道は開ける」に、その典型的な女性の話が紹介されている。
「戦争の間・・・」彼女(マイク・トマソン)は自分の経験を話してくれた。「私の夫は、カリフォルニア州のモハーヴェ砂漠近くにある軍事訓練キャンプに駐留することになりました。夫の近くにいるために、そこに住むことにしたけれど、私はその場所が嫌いでした。 夫は、モハーヴェ砂漠での軍事演習への参加を命じられ、私は小さな掘立小屋に一人で残されたのです。暑さは耐えられないほどでした―――サボテンの日陰でも52度あります。話す相手は誰もいません。風がとめどなく吹き、食べ物にも空気にも、砂、砂、砂がいっぱい!
 惨めになり、あきらめて家に帰ると、両親に手紙を書きました。この先1分でも耐えられません。監獄にいる方がましでした!父は、私の手紙にたった2行で答えました。それは記憶に残る2行―――私の人生を完全に変えた2行でした。

 監獄の鉄格子から、二人の囚人が外を見た。一人は地面のぬかるみを見た。 もう一人は星を見た。  (フレデリック・ラングブリッジ『不滅の詩』)

 この2行を何度も繰り返し読んで自分を恥じました。現状の中で良いことを探そう。星を探そう。先住民と友人になりました。彼らには驚かされました。私が織物や陶器に興味を示すと、彼らは観光客に売るのを拒んだお気に入りの作品でも、私にプレゼントしてくれるのです。私はサボテンやユッカ、ヨシュアの木の興味深い形態を観察しました。プレーリードッグについて学びました。砂漠の夕日を見つめました。砂漠がかつて海底だった何百万年も前に取り残された貝殻を探し回りました。

 この驚くような変化を私にもたらしたのは、何だったのでしょう?モハーヴェ砂漠は変わっていません。変わったのは私です。私の考え方が変わったのです。惨めだった時間が、人生で最もわくわくする冒険に変わりました。発見したこの新しい世界に、私は刺激を受け、血が騒ぎました。私はそれを『輝きの塁壁』という1冊の小説にしました・・・私は自ら作り出した監獄から外を見て、星を見つけのです」。(※デール・カーネギー著『道は開ける』より

 SMI創立者ポール・J・マイヤーは「考え方、即ち心構えが全てだ!」と言った。上記の例はその好例だ。心構えによって“監獄をも楽園”に変えることができるということだ。私は先の見えないコロナ禍にあっても、今日一日を、価値ある目標をめざして生き切っていれば、必ずサムシンググレートがそれを見逃すことなく、希望を与え道を開いてくれると信じている。SMI小杉 (2021.5.31)

《令和3年4月》

死刑囚をも変えた、池田晶子の言葉


 先月、このSMI雑感で時々紹介した哲学者の池田晶子の「14歳の哲学」が、NHKの“100分で名著”で、紹介された。池田晶子の20年来のファンとして嬉しかった。やっとその時が来たんだなと思った。

 池田晶子の本を読む人が増えれば、自らの力で考える人が増え、世界はもっと良い方向へ向かうのでは、という人がいる。全く同感だ。
 教育者で思想家の稲瀬吉雄氏は、池田との対談形式で書かれた【池田晶子の言葉】の冒頭、「・・・数日の間熟慮したが、私の中では今の日本で多くの人々――老若男女を問わず――に、共通して読んでもらいたい人物の一番手は、故池田晶子ではないかという思いが強く沸いてきた」と書いておられる。

 池田晶子の言葉で、生きる目的を悟った死刑囚がいた。2人を殺害し死刑判決を受けた元風俗店経営者、陸田真志だ。陸田と池田は手紙による獄中哲学対話を重ねる。その内容は読む者をその対話に引き込んでいく。そして「言葉(ロゴス)」の力を知る。陸田が池田の言葉に触れ、人生の真実を知る切っ掛けとなったという告白の文章がある。私はこの文章を読み涙した。死刑囚でも悟り、残された人生を善き人生に変えていけるのだと深い感銘を受けた。

『そうやって苦しいまま、自分をだましつつ1年半が過ぎ98年になって、1月の事と思いますが、新聞に「新潮45」で連載をされていた池田晶子様の短文が掲載されており「金銭的な良いと精神的な善いは違う」との記述を読んで「何か」がわかったよう思えたのです。キリスト教や仏教、人権団体の偽善。自分がかつて追い求め、手にした金の無価値さがわかったよう思えました。それで、さっそく『ソクラテスの弁明』、『さよならソクラテス』を買い求め、そこで、その何かが見つけられました。そして、それが私の真実でした。「死を恐れず、下劣である事を恐れる」、それを知り、又、獣としか思えなかった私にも善を求める心がある事、あった事がわかり、やっと自分自身を卑下する考えから解放されました。そして、死も神も自由も孤独も権力も概念に過ぎない、そう知って、初めて何者も恐れず、何物にもとらわれない、真に自由な自分自身の魂をとり戻せた思いです(今、独房においても全くの自由を得ていると信じられます)。そして、その「善」が在る事。それを求める心が、自分にもあった。その事実にこそ、「神」が存在する、そう信じています。

※中略

 おかげでそれまで、公判で少しでも自分にとって有利な事を言うのは、それが事実であっても、「死刑を免れようという己れの弱さでは」と悩む事もなくなったし、逆に不利な事も死刑を恐れる事なく答弁できたし、裁判官にも、「死刑になってもならなくても、善く生き、死んでいく事、正しくある事が、私がこの先できる唯一の償ないだ」と言う事ができました。そして、そのようにこの先、生きて死んでいける、その事に大きな喜びと価値を感じております。「知りたいが為に知る」、その事を知る為に生きてきたのだ。そんな気さえしています。メシを食うのも健康を欲するのも、その自己の考える状態にとって「よい」からだ。そう思えています。今はその機会を与えてくれた全てのもの(国家や拘置所の職員の方や、全ての人々)に感謝しています。

 私は、池田様のおかげで、この事に、やっと気付けました。人を2人も殺し、その命はもうどうやっても取り戻せませんが、それでも自分を知る事で、本当に自分の罪を自分に認めさせ、被害者に謝まれた事、そして自分の中の善にも気付けた事をうれしく思って生きて、死んでいけます。「ソクラテスシリーズ」の編集に携わられた亀井龍夫様を始め、多くの皆様、そして池田晶子様に深く御礼を申し上げます。大変、ありがとうございます。では、皆様の今後の御活躍をお祈りします。敬具    H10・4・3 陸田真志』 ※池田晶子・陸田真志共書『死と生きるー獄中哲学対話』より
   
 私はこの陸田の態度・心構えの変化に、SMIの成功の定義「成功とは、その人にとって価値ある目標を設定し、段階を追って実現していくことである」が、重なった。
 陸田は池田の「言葉(ロゴス)」によって、独居の中にあっても残された人生を価値ある死に繋げようと自分と向き合い、思索を深めていく。正にポール・J・マイヤーの言うとおり、「死の1時間前でも、自分を変えることはできます」だ。

 しかし残念なことだが、池田晶子は2007年膵臓癌で惜しまれつつ亡くなった。陸田は翌2008年に死刑が執行された。陸田はその死刑執行の際、「池田晶子さんの所に行けるのはこの上もなく幸せです」という言葉を残したという。
 最後の最後、短い時間だったが陸田は“価値ある目標”を全うし、死刑囚でありながらも我々に人間の素晴らしさ、生きることの素晴らしさを伝えてくれたような気がしている。  SMI 小杉 (2021・4・28)
《令和3年3月》

 ノーベル賞候補となった渋沢栄一


 先日テレビで人材斡旋をする二人のコンサルタントの話を聞いていたら、女性のコンサルタントが「良く思うのは、人材が不足しているというというよりも、マネージャー(※マネジメント)の失敗が多いように思うんです」と言った。
 これは私が日ごろている感じていることであり、わが意を得たり、と思った。
 ここ数年の夜の学習会、SMIビジネス塾でたびたび学んでいるドラッカーはマネジメントの父と言われている。ドラッカーは単に会社の業績を伸ばすためのマネジメントではなく、社会の在り方としてのマネジメントを説いた。
 
「自立した組織をして高度の成長を上げさせることが、自由と尊厳を守る唯一の方策である。その組織に成果を上げさせるものがマネジメントの力である。成果を上げる責任あるマネジメントこそ全体主義に代わるものであり、我々を全体主義から守る唯一の手立てである。」(P・F・ドラッカー著「マネジメント」より)

■真摯さ無くして組織なし
 ドラッカーはマネジメントを執るリーダーに絶対必要不可欠なものは「真摯さ」といった。
 【真摯さを絶対視して、初めてまともな組織と言える。それはまず、人事に関わる決定において象徴的に表れる。真摯さは、とってつけるわけにはいかない。すでに身につけていなければならない。ごまかしがきかない。ともに働くもの、特に部下に対しては、真摯であるかどうかは二、三週間で分かる。無知や無能、態度の悪さや頼りなさには、寛大たりうる。だが、真摯さの欠如は許さない。決して許さない。彼らはそのようなものをマネージャーに選ぶことは許さない。
 真摯さの定義は難しい。だが、マネージャーとして失格とすべき真摯さの欠如を定義することは難しくない。
@強みよりも弱みに目を向ける者をマネージャーに任命してはならない。できないことに気づいても、できることに目のいかない者は、やがて組織の精神を低下させる。
A何が正しいかよりも、誰が正しいかに関心を持つ者をマネージャーに任命してはならない。仕事よりも人を重視することは、一種の堕落であり、やがて組織全体を堕落させる。 
B真摯さよりも、頭のよさを重視する者をマネージャーに任命してはならない。そのような者は人として未熟であって、しかもその未熟さは通常なおらない。
C部下に脅威を感じる者を昇進させてはならない。そのような者は人間として弱い。 
D自らの仕事に高い基準を設定しない者もマネージャーに任命してはならない。そのような者をマネージャーにすることは、やがてマネジメントと仕事に対する侮りを生む。
 知識もさして無く、仕事ぶりもお粗末であって判断力や行動力が欠如していても、マネージャーとして無害なことがある。しかし、いかに知識があり、聡明であって上手に仕事をこなしても、真摯さに欠けていては組織を破壊する。組織にとって最も重要な資源である人間を破壊する。組織の精神を損ない、業績を低下させる。】(※P・F・ドラッカー著「マネジメント」より)
 逆も真なりとすると、真摯さのないところには組織は絶対に作ることは出来ないということとなる。私もそのことを何度も体験した。
                  
■真摯さの塊「渋沢栄一」
 2年後に1万円札の顔となり、大河ドラマ「青天を衝け」の渋沢栄一は正に真摯さの塊のような人物だ。
 ちなみにこの大河ドラマを今まで一度も見なかった娘が一所懸命にみているのには驚いた。それは単に主役の吉沢亮が見たいからということではなく、渋沢栄一の真摯さにひかれているからではないかとも感じている。でなければ、とうに見るのをやめていたことと思う。

 渋沢の真摯さを物語るエピソードは、数多ある。500もの会社、1000にもなる事業に関係したのだから当然のことだが。
渋沢のの言葉に【私が考える人間関係のポイントは、何かをするときには人に対して強い思いを込めて考え、誠意を欠いてはいけないということです。つまり精神を込めて、地位や階級に関係なく、真心をもって交わり、一言ひとこと、一挙一動、心の底からのいつわりがないことが本当の人間関係だと思います。】そうした言葉を裏付ける逸話がある。

『栄一が作った聖路加病院の院長だったトイスラーが1つのエピソードを語っている。1921年に栄一がワシントン会議にオブザーバー参加するためアメリカを訪問した機会に、ニューヨークの有力者が栄一の日米親善や国際交流への尽力をねぎらうため、昼食会へ招待することになった。招待状を栄一に持参する役割になったトイスラーは、栄一の宿泊しているホテルを訪ねた。ところが栄一は、招待の前日と招待当日の夜にワシントンで先約があった。それを聞いてトイスラーは、そのとき81歳の栄一に《ニューヨークとワシントンの往復は難しいですね》と伝えたが、栄一は列車の時刻表をパラパラとめくりだした。そして栄一は、招待当日の朝にワシントンから列車に乗れば昼前にニューヨークに到着し、午後3時の列車でニューヨークを出れば、ワシントンの約束に間に合うと言って、即座に《昼食会に参ります》と招待を快諾した。栄一を招待したニューヨークの有力者は、その誠意と意思と体力の強さに感動した。1926年と1927年の2回、栄一がノーベル平和賞候補に推薦された背景には、こうした国際的にも伝わった栄一の人柄があった』(※『渋沢百訓』より)

 私は今、日本のあらゆる分野で起きている問題の多くがドラッカーの指摘の通り、真摯さを失ったリーダーがマネジメントの欠如によって引き起こしていると感じている。
 渋沢のような真摯さを持ったリーダーが至誠を持って行動する組織や会社は、コロナ禍にあっても、必ずやお客様に支持され花開くときが来る。そして、そうした組織が多くの人に希望を与えることとなる。 SMI小杉(2021/3/30)

《令和3年2月》

「風俗店へ行った翌日の客は・・」

 先日のモーニング・アカデミーでは、良いお客を呼び込む、また良い人との出会いはどうすれば良いかで話し合った。
 その中でお店の客を決定するのは店主(社長)の心構え次第であることを改めて考えさせられた。

■「風俗店やパチンコに行った翌日の客は、ろくな客が来ない」
 SMIでは、心で態度が変わり、態度が変わると行動が変わり、行動が変わると習慣(心構え)が変わり、習慣(心構え)が変わると出会い変わる。そしてその出会いが運命を決めると説く。

 この話の時に長年ミーティングに参加されている飲食店の経営者Kさんが「私の知り合いの飲食店のオーナーは『風俗店やパチンコに行った翌日の客はろくな客が来ないんだ。いつもそうなるんだわ』と、よく言ってましたよ。やはり、清々しい気持ちで今日も頑張るぞ、と店を開いた時と、眠いな、二日酔いだが今日もしょうがないな、と思って開店したのでは、お客さんもちゃんと見抜くんでしょうかね」と言われた。
 私の言いたいことも、その一言に凝縮されているなと、思った。

■与える気持ちでセールスに行ったら売れるようになった
 今月の10日、11日、12日と我々のSMIグループのトレーニング・セミナーが リモートで行われた。
 その席で世界NO1の実績を何度も上げたSトレーナーの話も全く同じだった。このS社長は「心構えによって出会いが決まる」ということに徹しておられる。それは全てが体験から出た言葉なので説得力がある。

 Sさんも当初はこのSMIビジネスが全く上手くいかなかったと言う。しかしある時、気が付く。「オレは見込み客から取ることばかり考えてプレゼンテーションしているのではないか」と。そこで決心する。「見込み客のためになる、与えることだけを考えプレゼンテーションしよう」と。すると信じられない程、出会う人の質が変わったという。そして売れるようになっていったという。

 ある時、過去に3回SMIのプレゼンを受けたという見込み客に出会う。そしてその人は殆どプレゼンをすることなく採用に至ったという。そしてその人に尋ねた。「何度も同じ話を聞いていたのに何故私から採用したのですか?」と、すると、「あなたは全く取りに来ることがなかったから」と答えたという。
 
■ネットの世界でも、心構えで出会いが決まっている
 5年ほど前にSMIビジネス塾のテキストに使ったD・カーネギーの「ヒトを動かすU」に、ウエブの世界においても出会いは心構えで決まるという文章がある。

【「『類は友を呼ぶ』という古い格言が、ツイッターの使用者にも当てはまることが最近の研究で明らかになった。幸福なツイッタラーは集団化する傾向のあることが示唆されている。 ・・・人を集団化させる他の多くの要因よりも、ツイッターは不幸な人同士、幸福な人同士をやりとりさせる傾向が強い」
 この研究を行ったのはインディアナ大学のジョアン・ボレン教授をはじめとするチームで、10万2千人のユーザーによる6ケ月間のリツイートの流れを分析し、1億2千9百万件のツイートを調べた。
 分析には心理学研究の手順を使い、ツイートの中からポジティブな言葉、ネガティブな言葉が使われる傾向を探してユーザーの「主観的幸福」を評価した。ついで彼らは集団化の傾向に着目し、幸福な人々は同様に幸福な他のユーザーに、より多くのツイートや投稿を行っていることを発見している。不幸感を持つ人々についても同様のことが見られた。
 ボレン教授はこの発見から、ツイートは考えられるより伝染力が強いと述べている。
「また喜びや悲しみをきわめて効果的に伝える。幸福な人は、彼ら自身の幸福感が増 幅されるので、(平均より)幸福な仲間のツイッタラーを好むことになる」】

 どの世界も同じだ。価値観や好き嫌いで出会いが決まるのではない。心構えの近い人同士が出会い、引きつけ合うのだ。アメリカの著述家で、牧師のジョン・マクスウェルは「あなたの出合いは、あなたがどんな人を求めたかで決まるのではない。あなたがどんな人かで決まるのだ」と言った。

 このコロナ禍にあって、どうお客様を作っていくか。それも全く同じだ。この状況にグチや不満を言う人はそうした人同士で引きつけ合う。逆にこの状況を変化の機会と捉え、チャンスを見る人はそうした人と出会い、そのチャンスを成果へと繋げていくことになる

 そうした意味で、SMI創立者ポール・J・マイヤーが言った「心構えがすべてだ!」はこのコロナ禍にあっても全くの真実だ。この短いフレーズにこそ、決定的ヒントが隠されている。SMI小杉(2021/2/26)
《令和3年 1月》

人生を変えた新島昇先生との出会い

 新年おめでとうございます。
 SMIクライアントにおかれては、コロナ騒動の中にあってもあるがままを受け入れ、目標を明確にし、やるべき事をしっかりと見つめて前向きに1つ1つを実践されておられることと存じます。

 年が明け年賀状が届くと、あらためて多くの出会い
に感謝させて頂く。人生は“出会い”で決まる。私のSMIとの出会いも、恩師の新島昇先生による。今年も先生から賀状が届いた。その賀状に「小杉さんのお陰で善い人生となりました。感謝です」とあった。先生は謙虚な方で、むしろ私が書くべき言葉がそこに綴られていた。
 
■新島昇先生との出会い

 私は鈴木自動車(※現(株)スズキ)に入社し、販売代理店である栃木スズキ販売に出向した。私は4輪の営業として県南地域(足利市、佐野市)を回っていた。そうした中で、『新島話し方教室−話し方であなたの人生は変わる』と書かれた看板を街のあちこちで見かけた。

 私は営業マンとして成績を上げたい、もっと人前で上手に話ができるようになりたいという思いで、その教室に飛び込んだ。教室は話し方の指導というより生き方の指導をする教室だった。私は週1回、水曜日に行われていた夜6時からの教室に通い始めた。1期(11回)を終了してもまだまだだと思い、参加し続け、とうとう11期通い続けた。回数にすると120回以上になっていたと思う。

 教室での学びは、大変な時もあったが楽しい教室でもあった。いつも受講生に笑顔があった。先生はほめ育ての人だった。そして私は時々先生の事務所を訪ねた。グチや相談ごとを聞いて頂きアドバイスをもらうことで、事務所は営業でかけずり回る私のオアシスのような場所になっていた。

■SMIとの出会い

 ある時、その事務所の片隅に置いてあった赤いカバンのことを先生に尋ねた。
「これはSMIというものです。私はここから学んだものを教室を通して皆さんにお伝えしているのです」と言われた。

 そして間もなく転勤により、県北の鹿沼市を担当することとなり、大きなカベにぶつかった。そこはスズキの占拠率が県内で最も低いところで、占拠率10%〜13%をうろうろしていた。それを25%まで持って行けというのが会社の私に対する期待だった。
 
 それを期に、私は先生が学んでおられるというSMIをやろうと決めた。そして先生にお願いして、SMIのモティベーターに我が家に来てもらった。それも「プログラムを持ってきて下さい」とお願いしての契約だった。そして私はずしりと重い赤いカバンのSMIプログラムを初めて手にした。その時の興奮は今もはっきりと覚えている。

 私は水を得た魚のように働いた。そして、『アルト』の新発売も重なって、数ヶ月にしてスズキの占拠率が、月によっては40%を越えるようになった。一年もすると、よく販売業者に言われたものだ。「鹿沼は軽自動車はみんなスズキになってしまうね」と。鹿沼市は県内でも有数の占拠率の高い市場に変わっていった。

 その後、営業においては、数回の年間功労表彰、新記録達成等と色々な経験をさせて頂いた。それらは新島先生とSMIとの出会いによるところが大きい。そして新島先生の「小杉さんはSMIの仕事が合っているんじゃないですか」の一言が切っ掛けとなり、SMIのモティベーターとなり、今がある。
 
■池田晶子との出会い 

 そのように出会いを振り返ると、正に“出会い”が人生を作ることを実感させられる。
 しかし出会いには、そうした生身の人間としての出会いと、もう一つ本を通しての、時間や空間を超越した出会いもある。
 ここ10数年読み続け、考え続けされている哲学者で文筆家の故池田晶子の本との出会いは、新潟県立図書館だった。正に本のタイトルが私の目に飛び込んできた。
それは“君自身にかえれ”という池田晶子と大峯顕氏の対談の本だった。私は衝撃を受けた。腎臓癌という死を目前にした女性が、ここまで深く考え語り、穏やかに、終末を全うしようとしていることに。そして池田晶子は「徹底して自ら考えろ、それこそが生を全うすること」「自ら考える人が増えることこそが、世界を平和にする唯一の方法」と説く。私はファンなった。私の人生は池田晶子との出会いで、より広く、より深くなった。

■新しい年を渋沢栄一と“出会う年”に

 今期のSMIビジネス塾は、SMIイズムを通し、渋沢栄一&ドラッカーという二人の巨人から学んでいく。それは渋沢とドラッカーとの本を通しての『出会い』である。そしてその出会いは皆さんとの対話を通してより深まっていく。そして渋沢栄一とドラッカーは自分の人生にとってかけがえのない人物となっていく。また二人はいつも数十年先、いや100年先を考え経営することを説いていた。今、持続可能な社会、SDGsが叫ばれるている。そうした実践を考える上でも、二人の考えは大いに参考になる。
 今期も、塾生お一人お一人が、渋沢栄一との出会いが素晴らしいものとなるように、真剣に、しかしワイワイガヤガヤ(※ツバが飛ばない程度に)と楽しく進めていきたいと思っている。この渋沢との出会いがどこまで深まっていくのか、今から楽しみにしている。  SMI小杉 (2021初春)