◇SMIとは

 SMIはサクセス・モティベーション・インスティチュートの略で、本部はアメリカのテキサス州ウエイコ市に1960年にポール・J・マイヤーによって創立され、 目標に向って行動する人間の心"モティベーション"に関する多くのプログラムを開発、 24ヶ国語に翻訳され、80余ヶ国で活用されている、世界最大の能力開発組織です。

 SMIプログラムは、半世紀に亘り歴史と言語、習慣、宗教、文化、人種等を乗り越え、 世界規模で多くの成功者を輩出し、日本でも多くの事業家、ビジネスマン、医者、弁護士、教育者、 スポーツ選手、主婦、行政府に至るまで広範囲な方々に活用され、あらゆる分野に実績を持っています。

 現在日本ではSMIインターナショナルジャパン http;//www.smi-japan.jp/(代表取締役 山本雄一)を総代理店として、全国主要都市を中心に62社の公認代理店があり、地域の発展に貢献しています。



SMI雑感へ(※毎月、SMI体験談、クライアントの声等をコラムで紹介しています)

ホームトップページへ


あらゆる分野で、そして多くの組織でSMIイズムは求められ成長・発展してきました。〕



◇SMI創立者 ポール・J・マイヤー

 《SMI創立者ポールJ・マイヤー》  《世界に羽ばたくSMI》

 ポールJ.マイヤーは、人びとが自らの目標を達成するのを支援するために、数多くのプログラムを著しました。 マイヤーは、多くの著作物を世に出した著者の一人として名声を博しており、印刷・録音された彼の作品は5,000万部を超え、 雑誌・機関誌への寄稿記事も多数あります。
 
彼の功績については150人以上のさまざまな著者によって、書籍・雑誌などに引用されており、 「偉大なる成功者・ポールJ.マイヤーの人間学」が、日本で翻訳・出版されています。最近書かれた、ポールJ.マイヤーに関する書籍では、 与えることの勇気、人生のあらゆる分野での成功とその有意性を解説しています。

 マイヤーがSMIプログラムで提唱する成功習慣は、 世界中で展開する彼の40以上もの会社で確立したビジネス上の経験と、マイヤー及びその家族の個人的な経験に基づいています。

 ポールJ.マイヤーは、個人や組織の成功、セールズ、マネジメント能力開発などの世界的な権威として認められています。 マイヤーのプログラムは、「人びとを限りなく羽ばたかせる」というビジョンを実現することによって、数多くの人びとに素晴らしい影響を与えています。

※2010年3月にハワイのマウイ島にてSMI創立50周年記念の世界大会が実施されました。

【今月のSMI雑感】

 
 蘇れ、メザシの“土光さん

 先日、新潟日報の読書欄に、リーダーの鑑となるような町内会長の話が載っていた
 『・・・私の地元の町内会長は嫌な顔を見せずに誠実に仕事をこなされており、(会長を)誇りに思っています。例えば、ごみについてです。「決められた日に決められた種類のごみを出してください」と繰り返し要請しても、守ってもらえないケースがあります。そういう時、最後は町内会長自ら分別、処理されます。また先日、町内総出による一斉清掃作業がありました。その一つ、用水路作業で一部のやり残しがあったので、町内会長に話しました。すると翌日、自ら先頭に立って他の役員と処理されました。その行動力に舌を巻きました。
さらに崩れた階段の修復など、枚挙にいとまがありません。・・・』

■率先垂範の人“土光敏夫

 この記事を読んで”目刺しの土光さん”を思い出していた。土光さんは正に率先垂範の人であり、真摯さの塊(かたまり)のような人だった。
 土光さんは『一つ気にかかることがある。それは管理者が部下に向かって’「何々してやる」「何々させる」といった発想が多いことだ。自分自身のことは棚にあげているのが問題だ。
実のところ部下は、管理者のそんな前姿よりも、ふだんの後ろ姿をみているのである。後ろ姿に学ぶのである。後ろ姿がりっぱであれば、黙っていてもついてくる。その意味では、部下指導とは、前姿を装うことではなくして、後ろ姿を正すことだ。管理者自らが真剣に仕事に打ち込む。自らの足りなさを省みる。そういった身をもって示す真剣勝負こそが、部下への最上の教育となる。部下は管理者の鏡なのである。』と、土光さんは率先垂範をリーダーの責務とし、部下の教育とも捉えていた。

■70歳の老体、雨の中傘をささずに立つ

『土光が東芝にきて、まず手をつけたことは、機構改革のほかに、全工場、支社、営業所などの訪問だった。・・・ 土光は、このエ場と営業所めぐりを、本社での仕事の合間をぬって進めた。東京から遠く離れた工場には夜行で出かけ、昼間工場を視察した後、トンボ返りで、また夜行で帰って来る。東京駅や上野駅に朝早く着くと、そのまま内幸町の本社に直行、社長の仕事を始めるタフネスさであった。

 夜行で、姫路工場に行ったときだ。
 工場の庭に従業貝を集めて、土光が話をしたが、あいにく小雨が降っていた。女子従業員は傘をさしながら、土光の話を聞いた。が、土光は傘をささない。東芝の現状、人間の話、能力開発の話などトツトツと話す。小雨も本降りとなってきた。ところが、雨とは逆に、傘の数は少なくなる。遠くで聞いていた女子従業員たちが、傘を閉じて土光の方へ近づいてくる。雨の中で従業員に真剣に訴える老社長の話と姿に心を打たれ、いつの間にか傘は一本も見えなくなった。話を聞く従業員の中には、目に涙を浮かべる人もいる。話が終わって、びしょぬれになった土光が、車に乗った。やはりずぶぬれの女子従業員が、ワーツと車を取り囲む。ガラスをたたきながら、「社長、カゼを引かないように」「お体をお大事に」「がんばって」「私たちも、一生懸命にやりますわ」と、口々に叫んだ。

 老社長の目頭も、思わず熱くなる。土光は、涙が止まらなかった。
 老いをものともせず、東芝再建のために東京から夜行で駆けつけ、雨の中で話をし、また夜行で本社に帰りてゆくそうした土光の心境を、姫路工場の女子従業員全員が理解した感激的な情景であった。
「七十歳になっていたが、幸い健康に恵まれ、それほど負担ではなかった。むしろ、上から下まで、全従業員と話し合う楽しみがあった』

■第二の土光敏夫は必ず現れる

 私が土光さんを心酔するきっかけとなった「土光敏夫−21世紀への遺産」(※志村嘉一郎著)に、冒頭下記の通り記されていた。

『土光敏夫。九十一歳。日本の歴史の中に、後世の歴史家が、「二十世紀に活躍した偉人であった」と、必ず書き残すに違いない。大きな偉業を成し遂げたとか、大政治家だとか、民族の英雄だとか、そんな偉人ではない。一日一日を平々凡々に生きた人である。一介のエンジニアから、倒産寸前のいくつもの会社を立て直し、財界総理に推戴された。十分な収入がありながら、財を成すわけでもなく、色を好むわけでもなく、豪邸に住むわけでもなく、食事は一汁一菜、メザシが唯一のごちそうである。一か月五万円の生活費を残せば、収入の全てを私立学校へ寄付してしまう。老妻が洗濯したワイシャツに、着古した背広、擦り減った皮靴で、地球上どこにでも飛んで行った
『ミスター合理化』『財界の荒法師』『怒号さん』などと呼ばれ、鈴木、中曾根の二代の総理から請われて、臨調会長に就任、国鉄や電電公社の民営化など行政改革に大ナタを振い、二十一世紀に向けて水ぶくれの政府をスリムにした。民間人として初めて、勲一等旭日桐花大綬章を受けた
』※志村嘉一郎著「土光敏夫−21世紀への遺産」より

 正に土光さんは、SMIイズムの人であり「無私の人」だった。我が社では4年前にSMIビジネス塾とSMIモーニングアカデミーの二つの学習会で、土光さんの生き方を1年間学んだ。そして多くの共感を頂いた。私はリーダー不在の日本にあっても、日本人にこの土光イズムに共鳴する心が残っている限り、必ず第二の土光敏夫が現れると信じている。 SMI小杉隆雄 2021/7/30


☆SMI雑感アーカイブスへ


☆ホーム・トップページへ